ダブリンシステム

今日は前日に続いてラグビーのポジションについて書きます。2回目はセブンエイスと「ダブリンシステム」について。


セブンエイスは、前日も書いたようにラグビー・フォーメーション中の7列目、つまりフルバックの前方にもう一人選手を配する場合の通称になります。そしてエイトFWに対し7人で対抗し、その分バックスが一人多い状態で勝負する。
でもこれは、フォワードが相当強くないと難しいでしょうね。


ここではフォワード側の詳細は触れませんが、あまった一人をセブンエイス(SE)に起用。と言っても、SEにはフォワードの選手を回すのではなく、ポジション上バックスの選手がもう一人追加される、というイメージでよいと思います。


どういう使われ方かと言うと、簡単に言えばサッカーにおけるリベロみたいな感じだったみたいですね。スリークォーター(TB)をサッカーのDFライン、そして最後のトリデであるFBをゴールキーパーに見立てたら、その中間に位置するSEはバックラインのフォローをして、FBの負担を軽減する役割を果たすんだけど、機を見ては前線に飛び出し、攻撃のオプションとして威力を発揮する。


今はこういう7人フォワードって組めないはずですが、でもラグビーは基本的にオープンな攻撃が見ていて楽しいと思うんですよ。フォワードの数を減らして、セットプレーも出来るだけ無いパス主体のルールにした方がいいと思っているんで、こういうバックス8名のプレーも見てみたかったですね。昭和40年代頃までは、セブンエイスを用いたチームがあったようです。
バックスを増やして守備的に...じゃつまらないですけどね。


ベースボール・マガジン社の「ラグビーマガジン」2003年3月号の連載「ラグビー世界遺産」に、このSE戦術が日本に導入された歴史について書かれた文章(秋山陽一氏)があるんですが、同戦術について説明した昭和初期の新聞記事もあわせて掲載されています。これを読むと、当時から日本のラグビーは相当強く、戦術やフォーメーションに対する研究が進んでいたことがわかります。下手したら、今の記事よりよっぽど詳しいですよ。試合解説もかなり詳細です。だから選手やコーチだけでなく、読者である一般のファンのラグビーに対する理解も深かったんでしょうね。戦争さえなかったらな、という気がします。


最後に「ダブリンシステム」の名称ですが、大正時代に英国留学していた明大の教授が、現地で強豪ダブリン大学のシステムを目の当たりにし、帰国後ラグビー部長に就任。北島忠治監督にダブリン大学の戦術を教えて、これをヒントに北島監督が独自のものに練り上げました。
攻守に優れまたキック力もある、当時の名フルバックだった笠原恒彦がSEに起用されたそうです。
重戦車フォワードに代表されるフォワードのタテ攻撃「前へ」のスローガンが印象に残る北島ラグビーですが、その前にはこんなバックスを一人増やしての試合を行っていたんですね。


今はラグビー自体のスキルと選手個々の運動能力は上がっていると思うけど、その分個性がなくなっている気もしますね。だからラグビー草創期の当時の方が、様々な戦術や新作戦、時には奇策を自由な発想で研究し、実践していたのかもしれません。



<参考資料>
ラグビーマガジン』2003年3月号 Pp.184-185
ラグビー日本遺産 連載28「ダブリンシステム」秋山陽一
ベースボールマガジン社